2012年03月26日

山下さん、ありがとう!

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3月26日
我らがマエストロ、仙台フィル正指揮者山下一史さんが、このたび仙台フィルを退団なさることになりました。
先日は、ファンクラブ主催でささやかな送別会をさせていただきました。
本当に残念………。



6年前に山下さんが仙台フィルにいらしたとき、ワタシたちファンクラブでも大歓迎会をしたのですが、そのときの山下さんのはじけ具合は、仙台フィルファンの間でも伝説となっているのですが(詳しくは本人の名誉のため省略します笑)
そのときに、山下さんが語っておられた仙台の街に対するアツい思いを、ワタシは忘れることはできないんですよね。
ただ仙台フィルの指揮者としてステージの上から音楽を演奏するだけでない、音楽が仙台の街づくりにどんな意味をもつか、すこしでも貢献したいとアツく語っていた山下さんに、ワタシもすごく共感したし、ああ、いい指揮者に来ていただいたなあ!!とすごくうれしかったのを、昨日のように思い出します……。



早いものであれから6年。山下さんには名演奏をたくさん聞かせていただきました。
そして、なんの運命か、山下さんは去年3月11日、青年文化センターのリハーサルのステージで、あの大震災を経験することになってしまいました。




実は、ワタシ、山下さんと同学年でして!という話から、隣の席で話が盛り上がり(笑)
この40代後半の6年間の指揮者人生を仙台で送った意味、そして、偶然とはいえ、この大震災を50歳目前で、その仙台で経験した意味、について、深く深くお話をしました。
山下さんはご自宅は東京にあるし、仙台には時々通うだけで気持ち的にもそれくらい?!だとワタシたちも思っていましたが、山下さんが震災で感じたという心の揺れ、胸の苦しみ、わだかまりが、ワタシたち地元民と同じであったことが、本当にうれしく感じました。



もしかしたら失礼かもしれませんが、と前置きして、「この震災は大変な傷で絶対に元には戻らないけど、だからこそこれからは、もっと新しい人間、新しい街になれる、そう思えるんですよね」
そう語りかける山下さんの目の強い力に、「ワタシもそう思います!」と答えていました。


そして、山下さんは、ご自分のプライベートなお話もしてくださいました。
広島出身の山下さん、実はお母様は被爆されているそうです。原爆投下から70年間はペンペン草も生えないと言われた広島の街。
「それでも16年後に僕が生まれたときには、普通の日本の地方都市として、ちゃんと復興していたわけですよね。いま福島のことがあって、それを考えたら奇跡ですよね。」そうですねえ。


いや、みんな決して裕福ではありませんでしたよ。でも父も母も一生懸命働いて、それで広島は復興したと思うんですよ。
さらに、僕が音楽を勉強するために、東京に、そして海外までもお金かけて出してくれたんですからねえ。そういうことを思うと、両親には当然感謝しなきゃならないし、いまの自分があるのは、広島の復興に尽くした人たち、そして周りのたくさんの人たちに感謝していかなきゃ、せっかく勉強したことをみんなのために生かさなければ、と、震災のあとますます強く思うんですよね。


そう語る山下さん、同じ年のワタシ、おんなじこと考えていたから、つい涙出そうになったんですよ。


ワタシたちは高度成長期に、自分たちは戦中戦後の混乱に人並みに育てられなかった親に育てられたわけですが。
ただあの時代の親たちは、やはりすごくがむしゃらに頑張っていたと思うんですよね。それがいいか悪いかは別として。
でも今のワタシたちは、どうなんでしょうか?
もういい年の大人であるはずなのに、なんかぐずぐず子供っぽく責任をとりたくない、成熟もせずにうまくいかないのは誰かのせい、そんな不満ばかりでいないでしょうか?
なによりも、子供たちに胸をはって、恥ずかしくない生き方をしていると、いえるでしょうか?



震災がいいところで教えてくれましたよね、
ワタシも親は頑張って東京に勉強にだしてくれたのに、当たり前のようにそれに感謝することもなく……さらにいろいろ不満まで(汗)
今こそ、ワタシたち大人として頑張らなきゃだめですよね!!と話し合いました(笑)



指揮者と聴衆として出会ったはずのワタシたちが、共通の感覚と、生き方について話し合えて。



山下さんも、6年前仙台に来たときは、やはり音楽家はよい演奏してなんぼ、その演奏でお客様よべてなんぼ、だと思っていたそうです。


「でもそれだけじゃない、音楽家として人間としてどう生きるべきかを、この震災に教えてもらいました。震災に感謝っていったら悪いかな。」



そういう山下さんの気持ちを共有できた、ワタシたちもまた、ファンとしてよりも、一緒に生きていく仲間として、山下さんとの思い出は宝物です。



山下さん、ありがとう。
仙台フィルは離れるけれど、ワタシたちファン、団員さん、仙台との絆は、ずっと永遠ですよ。




またお会いするときを、心より楽しみにしています!!
posted by SPC at 18:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | ぐらにゅー

2012年03月11日

あの日を忘れない

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3月11日
今日で大震災から一年。
みなさんは、どんな気持ちで過ごされたでしょうか。


長かったような、短かったような?
いや、なにがなんだかわからずに、嵐のように吹き抜けてしまった一年でした。


この一年目のきょう、
NHKの「オーケストラの森」は仙台フィルをとりあげていただきました。
先日の定期、素晴らしい演奏が再現されて、感動でした。
とくに、オーボエ西沢さんのコンチェルトは最高でした!



テレビでは、震災からの仙台フィルの活動が。
約2週間後の3月24日にやったお寺の復興コンサート第1回も。
ああ、そうだった、とみていると。
最後の、みんなで歌った「ふるさと」、
テレビの中では、ワタシ、そしてSPCの仲間たちが号泣しながら歌っていました…………。



そう、ワタシたちはこの日、廃墟となったふるさとで、
もう一度たちあがろうとみんなで誓ったのですよね。「ふるさと」を歌い、涙を流しながら。
あれから一年、
復興なんてまだまだスタートラインにたったばかり。きっとワタシたちが死ぬまで復興なんか終わらないんです。
でも、それでも、ワタシたちは立ち上がらなくてはならない。
強い心で。


そのためには
音楽の力がどれほどのものなのか、わからないけれど、
それでも、みんなを一つに勇気づけてくれる、
音楽をとにかくみんなの心に届けたい。
音楽の力をみんなで信じていきたいじゃないですか!!


あの日ワタシたちは心一つに復興を誓いました。
あの日の気持ちを忘れてはいけません。
SPCメンバー、仙台フィル楽団員、事務局、スタッフ全員が心を合わせて
被災地のためにハーモニーを奏でていきたい。


テレビのなかの自分の泣き顔に、
心をきめた一年目の日、でした。
posted by SPC at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | ぐらにゅー